奥羽本線旧船岡隧道
2011年GW最後の隧道探索となる奥羽本線旧線跡の船岡隧道へと向かった。
この旧船岡隧道はさっきまで探索した旧峯ノ山隧道から比較的近く、大張野駅と羽後境駅の間に存在している。もちろん旧峯ノ山隧道と同じく、新線切り替えにより廃線となった後に立つ隧道である。
この隧道も言うに及ばず、電車でGOをやって覚えていたのだった(笑)
でその隧道へ向かっていくのだが、ルートは国道13号を北上していき、君ヶ野集落へと向かい、そこから小黒川林道を走っていく。
林道をしばらく走っていくのだが、管理用だろうか。来満街道来満峠越えですっかりお世話になったピンクリボンを発見した。
また途中にいかにも貧弱そうな橋があった。渡るときは特に気にしてなかったのだが、帰るときに写真を撮ってみて気が付いた。
林道は途中で車が通れなくなるということもなく、というより何事もなくあっという間に終点に着いた。
で、右を見てみたら・・・・・。
あった、旧船岡隧道だ。
つーか、車で走ってきて車止めたら隧道でしたっていうのも随分あっけないものだな。それでも発見したときはうれしいけどね。
それでも今回の隧道の中では一番坑門自体の保存状態はいいよね。
あと、車も通っているようで轍跡がはっきり見て取れる。それによってこの隧道が貫通しているというのもわかるから、侵入するときも安心して突入できる。
よーしパパ隧道もぐっちゃうぞーと思ったとき、ふと左側を見てみたら、いかにも怪しげな木でできた工作物のようなものがあった。
意味不明な時は『スルー』します。
で改めて坑門を見てみると、坑門上部にいかにも怪しげなゾーンがあった。
ここには昔何か飾られていたのだろうか?ちょっと気になった。
坑門の怪しげゾーンのことはもちろん気になったが、そこばかり気にしていても仕方がないので内部に侵入した。
内部はよくありがちな隧道内部の様相といった感じだが、距離が長いうえに大きく左にカーブしているからだろうか、出口の明かりはこの地点では全然見えなかった。
内部の崩壊状態を見てみたが、隧道表面のコンクリートが少しはがれているくらいでかなり状態はよさそうだった。
内部を進んでいき最初の退避抗を見つけたのだが、そこにはすすで真っ黒になった(もしくは焦げた?)レンガ(というか木?)のようなものが積まれていた。
(この時は先が全く見えない隧道にもぐっているという久しぶりの感覚に襲われている最中であり、はっきり見ることができなかった)
で次の退避抗を見てみたのだが、何も積まれていなかった。ただかなりひどくススで真っ黒になっていた。
さらに進むこと、そうだな150メートル以上は歩いただろうか。そのくらい歩いていたら、いよいよ前後とも真っ暗になってきた。
車のわだち跡があることが救いとなっていた(これがあるということは車が通っている⇒隧道は貫通しているということだからな。空気が流れていれば貫通しているという意見もあるが、空気はかなり小さい隙間からでも流れることがあるのでそれほど安心はできない)
・・・でいよいよ隧道の中間地点(と思われる場所)に到着したとき・・・・。
スゲー真っ暗。
モヒャ━━((゜Д゜Uu))━━!!!!!!
上の写真は別に撮影に失敗したわけでもないし、ましてふざけたわけでもない。この時の隧道内部は本当にこんな感じだった。
この隧道、全長は大したことはなく、はっきりと測ってはいないがせいぜい300メートルを少し超えるくらいの長さだろう。
そういう意味では今まで探索した隧道の中での最長隧道となる矢立第4隧道(全長702メートル)に比べれば半分程度の距離ではあるが、矢立第4隧道は一直線の隧道でずーっと出口が見えていたのに対し、こちらはずーっと左カーブしているので全然出口の明かりが見えてこなかった。
隧道にもぐる時の恐怖感は距離だけではなく隧道の形状(一直線なのか延々とカーブしているのか)というのも大きな要因になりえるということを改めて認識させてもらったともいえる。
と思いつつ足早に出口へ向かって歩いていた。
長く続くと思われた隧道も当然終点があるわけで、ようやく出口の明かりが見えてきた。この時はホッとした。
出口付近はやや異常出水が多いように見受けられた。壁から水がジワリと染み出していたのだ。
そして旧船岡隧道を抜けた。というか抜けた先は旧峯ノ山隧道と同じようにスノーシェルターの残骸で覆われていた。
スノーシェルターを抜けた先は地面は一面水たまりとなっていたため、歩くのに難儀した。出水が多いからだろうが、地面には何やら水草のようなものが育っていた。
・・・ちょっとだけ美味しそう、と思ったのは内緒である。
そろりそろりと隧道を抜け、ある程度距離を取ってから隧道出口側の坑門(秋田側)を撮影した。
スノーシェルターの支柱が邪魔で見にくいが、入口の坑門とほぼ同じデザインである。また入口側坑門にあった怪しいゾーンはこちらにもあった。
それ以外は特に特徴と呼べるようなものは見受けられなかった。
そしてこの後は今通ってきた隧道を再び通ったのだった・・・。
一度とおっているにもかかわらず恐怖感は結構あった気がする。
これで2011年GWの隧道探検は全部終了した。
思ったよりもかなり簡単な場所の探索となってしまったのは予想外であったが、久しぶりに隧道にもぐることができてよかった。
ただこの時、未知なるものへの探索心(どこかの書籍やHPで紹介されているものではなくだれも探索していなさそうな場所へと赴くこと)が物足りなかったと感じたのだろう。
これが次の探索である来満街道来満峠越え・不老倉峠越え第2弾へとつながったと思う。
第2次来満街道走破についてはのちほどブログでお知らせするぜ。
« やべー最近ますます・・・ | トップページ | 世界のサトアツの引っ越しその1 »
「隧道」カテゴリの記事
- 三陸鉄道北リアス線を全駅歩いて訪問・その3-1(2015.01.24)
- 2014年8月の秋田日帰り旅行その4・抱返り渓谷再訪問後編(2015.01.12)
- 2014年8月の秋田日帰り旅行その3・抱返り渓谷再訪問前編(2014.11.07)
- 2014年のGW合同調査その6・岩手軽便鉄道時代の遺構旧宮守隧道とちょっとおまけ(2014.06.21)
- 2014年のGW合同調査その5・岩手軽便鉄道時代の遺構旧鱒沢隧道(2014.06.18)
「廃線」カテゴリの記事
- 2014年8月の秋田日帰り旅行その4・抱返り渓谷再訪問後編(2015.01.12)
- 2014年8月の秋田日帰り旅行その3・抱返り渓谷再訪問前編(2014.11.07)
- 2014年のGW合同調査その6・岩手軽便鉄道時代の遺構旧宮守隧道とちょっとおまけ(2014.06.21)
- 2014年のGW合同調査その5・岩手軽便鉄道時代の遺構旧鱒沢隧道(2014.06.18)
- 2014年のGW合同調査その4・道の駅みやもりでめがね橋を見たのだが・・・(2014.06.16)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント